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最初に。
このページは、よく「どうやってプロになったんですか?」
との質問にお答えするため、用意してみました。
ちょっと読み物風にアレンジしてみましたが、
起きた出来事はすべて本当のことです。
これを読んだら皆プロモデラーになれるわけではありませんが
あ、こんな人もいるんだ〜くらいに思ってください(笑)
では、始まります。
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きっかけは92年のことでした。
個人的な理由でそれまで勤めていた会社を退社した私は
ちょっと目標を見失いつつ、ぼんやりとした日々を過ごしていました。
ギターを弾いたりゲームをやったり。
ある時、衝動買いしたタミヤの1/12マクラーレンMP4/6でも作ってみるか…と思い、
何気なく作り始めたんです。
会社を辞める時に見つけたのですが、
今考えても何で買ったのかわからないんですけどね。
工具も塗料も何もなかったのですが、最低限をまずは揃えて。
当時一読者だったわけですが、Hobby JAPAN誌などを参考に
なんの躊躇もなく作っていました。
いきなり意味も分からずクリアー研ぎ出しとかやってるし、
中身の塗装なんて、塗料の区別なんてもう忘れちゃってるんで
タミヤならいいだろうってエナメルだけで塗装しているし。
すり合わせとか、そんなことも分からないから
メインカウルをまず塗っていましたね。
全て缶スプレーだったか、ま、なんとか蛍光レッドもうまく行き
ソフト99のクリアーでコートしてました。
で、ダイキャストのサスアームにものすごく燃えまして、
安物のヤスリでガリガリやったんですがうまくいかず…。
リューターっていう道具があるらしいので
早速探しにいきましたが、値段の都合で買えたのは
某メーカーのプラモデルになったリューターでした。
それを、まずは余った部品を使ってACアダプター仕様に改造、
って言っても配線して組み込んだだけなんですが
それを使ってガリガリガリガリ…。
今までにない感覚に、時を忘れて没頭していましたねぇ。
それにしても、プラモデルなんて何年ぶりだろう…。
子供の頃からプラモデルを作っていましたが、大人になるにつれ少しづつ離れていたんですね。
ま、当然というか(笑)、完成はできなかったんですが
色々なことを考えることができた時間でした。

次に、WAVEのF1、1/24 フェラーリ641/2を購入したんです。
正直、なんだこれ…どうやって作るの?
え?不良品?穴とか開いてないよ…。
どうやら全て自分でやるそうです。
…。
でも、なんだかプラモデルにはない味がそこにはあるんですね。
原型製作、小林誠…原型?なんだそれ。
調べてみると、どうやらモデラーさんが製作したモノを「ごむ」で型を取って
「プラスチック樹脂」を流すとな…。
もう何も知らないんですわ、この時は。
でも、
あ、これ中学生くらいの時にやったな、何を作ったかは言えませんが(笑)
あぁ、あれね!
へぇ、こんなことになるんだ。
シリコンゴムで型取って、レジン流すとねぇ。
関心しきりでございます。
しっかしよくこんなもの作るよね、何もないんでしょ?元は。
クルマをゼロから作るんかい。
プロってのはすごいね、俺にはムリムリ。
で、そのキットももちろん完成できなくて放置です。
とりあえず研ぎ出しまではしたんですが凸凹は全て埋まっているという…。
フロントウイングの取り付けも、ピンバイスなんてないから
1.5ミリのでっかい穴開けちゃってどうにもならなくなっちゃって。
サスアームなんか意味不明。
構造もよくわからんし(笑)
今でもどっかにあるな、アレ。

そんなある日、雑誌で模型の完成品販売の広告を発見しました。
そこにはフィニッシャー募集と書いてあります。
「ほう、こんな仕事があるんだ…ん?1/43?へぇ、そんなものがあるのか…。」
特に何も考えず、まずはそのお店(今はもう無いと思う)へ電話。
すると、丁寧に教えてくれました。
製作方法から、どんな材料なのか、こういう風に作らないと売れない等。
とにかく、一度やってみたら?とのお誘いで
その場でタメオのフェラーリF92Aのキットを発注したのです。
当時はインターネットなどの環境はなかったので
札幌にもそういうお店はないものかと、電話帳なんかで調べていました。
この時点ではこれでメシを食おうなどといった大それたことは考えていませんでしたが
ただ、なぜか体が動いていたというか…今思うと何かを感じていたんでしょうね…。
キットの到着です。
初めて見るメタルキット。
全部金属です、当たり前ですが(笑)
普通なら素組みで行くところなんでしょうが、事前に色々と聞いたため
いきなり気に入らないところへ半田を盛っていました。
でも、フラックスすら知らなかったため、あまりうまくいきませんでしたが。
一部を薄く削り込んだり、金属板に置き換えたりして。
近所のホームセンターしか知らないので、そこで売ってる
分厚い銅板を希望の厚みに削ったりと、今では考えられないことをしてましたねぇ。
で、塗装にかかろうというところで雑誌の広告から
自宅から車で40分ほどの場所に43を置いているお店が2店あることを突き止めました。
ってことで、まずはカームプレイスさんへ。
やさしい店長さんから色々とアドバイスをいただきました。
こちらでは、詳細な材料の説明などを。
お客さんの完成品やプロ製作の完成品を交えながら
1時間ほど教えていただきました。
特に研ぎ出しについて…。
その日はカームさんのみで帰宅し、早速試してみました。
さすがに最初にしてはうまくいって、一気に完成を見たのでした。
ちなみに、カームさんでは後に完成品製作のお仕事もたくさんさせていただきました。
そのF92Aと次に製作するFW-14Bは、今も壊れつつですが保管しております。
もちろん完成度はトホホなものですが。
たまに見ると、この時の勢いみたいなものが思い出されます。

次にもう1店、模型のひろさんです。
当時はまだ小さい店舗で人が重なり合わないと動けないほどの店内でしたが、
とりあえずオジャマしてみました。
たくさんのメタルキットに目を奪われつつ
まずはタメオのウイリアムズFW14Bを購入。
ついでに店長からも製作についてのレクチャーをいただいたのです。
(お店はその後大きくなり、"店長"ではなくなったのですが、私の中ではいつまでも"店長"です)
この時はまさかこの人をきっかけに人生が変わるなんて思ってもいませんでした。
その日はまたそれで帰宅。
それからまた数日後、模型のひろさんへ。
実は、ちょっと聞いてみようと思っていたんです。
そう、模型製作は仕事になるのかって。
この頃には、もしできるのなら、と考えていたんです。
カームさんでも聞こうと思っていたのですが、なぜかこちらへ…。
「う〜ん、できなくないけどむずかしいよ、腕ももちろん重要だけど何より"名前"がないとダメだよ」
それが答えでした。
名前というのはもちろんネームバリューのこと。
最近初めて43を完成させた人間にそんなものあるわけがありません。
そりゃそうだよ、画家とか陶芸家とか、そういう人たちと一緒だもの。
所詮ムリな話だよね…。
というところで帰宅。
今のように手軽にインターネットで自分の作品を公開して…
なんてできない時でしたからね。
もう、公開する手段すら見つからないわけです。
で、さらに数日後パーツが欲しくなって、またひろさんへ。
店内には昼間ということで自分一人だったことから
店長と色々と話をしていたんです。
そこへお店に電話が入りました。
しばらく話していたので、店内をグルグル見てまわっていたんです。
で、ちょっとしてから声がかかりました。
その頃はまだ名前すら教えていなかったので、
「ねぇ!ガレージキット作ってみない?」
急な問いかけに、心の中では
へ?ガレージキット? あ、アレ(641/2)のことか…。
完成したことないしな…でも…。
と考えつつ、
「え?ガレージキットですか?はい!作れます!作ります!」
あわわわわ、なんてことを言ってしまったんだ、俺は…。
いくら仕事を探しているとはいえ、口からでまかせって、オマエ(笑)
今思うと、「でも」ってのが全てを変えたんですね…。
もしかしたら…と。
一瞬の判断でした。
まずいかな?とも思ったけど、
失敗したところで失うものは何もないし、弁償代くらいかな、なんて。

実はこの電話、WAVEさんからだったのです。
そ、あのWAVEさんです。
当時、ベネトンB191Bのガレージキットを発売したWAVEさんは
チームへ納品するための完成品を製作する人を探していたんですね。
その時自分がそこにいたんです。
で、発注内容は
・一週間で3台を製作すること。
・仕上げは任せるが、クリアーコートはすること。
・梱包方法を指導するので発送には十分注意すること。
・とにかく納期を守ること。
といったところでした。
実際にガレージキットを完成させたことがない人間が
このキットを完成させることができるのか…。
早速キットを送ってもらい、いざ製作開始!と行きたいところだけど
ホントにわからなかったので、
とりあえず店長が参考にって貸してくれた、
モデルアートのそれらしい号を参考にまずは勉強(笑)
エアブラシなんてものもなかったから
まずはタミヤのスプレーワークを買ってみる。
ケキョケキョいうやつね。
果たして店長は俺がこのキットを作れるのかどうかわかっていたのだろうか。
完成品を見せたこともない見ず知らずの名前も知らない俺に…。
自分の意思とは違うなにかに誘われ、戸惑いつつも
期待?を裏切るわけにもいかないので、ひたすら没頭した。
WAVEさんにも気を遣っていただいたようで
翌々日、大量の塗料と共にキットが届いた。
そして、
641/2でも見たオールレジン製のボディ。
今回は数パーツに分かれている。
初めて手にしたホワイトメタルのサスアーム。
同じくウイングのパーツ。
処理の方法すら分からない…。
とりあえず、同じもの3台なので流れ作業でやってみた。
一週間後.。
ま、それなりに完成したのでした(笑)
ものすごいプレッシャーで何度も挫折しそうになったけど
諦めてる場合ではなかった。
やるしかなかったから。
正直なところ、今思うとその完成度には?がつくと思うけど
精一杯やった。
そして発送…到着。
後日、自宅へ店長から電話が入る。
この頃には名前も覚えてもらっていた。
「畠中君お疲れ様。いやぁあのね、3台とも全損だって…。」
あぁぁ、やっぱりね、プロなんてそんなに甘くないよ…。
梱包が甘かったようだ。
ちなみに、俺がいう"プロ"ってのは、たとえどんな状況でも
自分が作ったものを渡し、人様から見返りとして"お金"をもらった時点でプロと言います。
だから…
人様からカネをもらっておいて、いや、自分はまだアマチュアなんで…とか
ちょっと出来は悪いんだけど…とか・・・はっきり言って迷惑。
きちんと責任持ってやっている人間も少なからずいるのよ。
やるなら、せめて最低限の"責任感"は持ってくれ。
自分が買う側ならどう思うの?
で、
これは一体どのくらいの損害が出るのだろうと覚悟を決めつつ、
この道はきっぱりあきらめようと決めました。
その後、WAVEさんの当時の部長からも電話が。
「今回は申し訳ありません。キット代金等しかお支払いできないかと思うのですができるだけの責任を取ります。」
みたいな話を切り出したのだけど、押しのけられ
「いやいや、そんなことより畠中さん、お疲れ様でした。
急な仕事で大変だったでしょう。
バラバラだったけど、こっちで直せるから気にしなくていいからね。
ボディをきれいに作ってくれてるから大丈夫だよ。」
…。
スミマセン、ありがとうございます、みたいな言葉を使い分け、
必死に話を聞くのが精一杯でした。
それから数日後、
店長とWAVEさんから同じ内容の電話が入る。
WAVEさんからの電話は前回と代わって若い方。
名前を聞いてびっくり。
ガンプラ好きには知らない人はいないだろうと云われる
波佐本英生さんだったのです。
WAVEさんの社員だったんですね、当時。
ちょい緊張しつつ、内容はというと。
「畠中さん、先日はどうもありがとうございます。
で、また急なんですけどよろしかったらウチのティレル020B作りません?」
「え、いいんですか?自分で。」
「うん、やっぱりボディがきれいだったからさ、お願いしようと思って…。」
「…。わかりました、よろしくお願いします。」
今の自分にそのお誘いを断る理由などありません…。
いや、断れる身分なのか。
「でね、この完成品はHobby JAPANに載るからね。」
「は?」
「Hobby JAPAN用の作例だからさ、あ、でも好きに作っていいからね。」
なんてこった…。
でも、納期が迫っていたので喜んでいる余裕などなく、
店長が気を遣って先払いしてくれたベネトンの製作代金で
資料集めと不足している工具類を揃えてみた。
後日、HJ編集部からキットと200字詰めの原稿用紙が50枚ほど届いた。
ま、書くのは12〜15枚ほどだったんだけどね。
とはいっても、この段階までは誰もライターという言葉は出していないので
「ま、これっきりだろうし」と思いつつ製作した。
またも試行錯誤しながら。
でも、そのままではあまりにも先がないことはみえみえだったので
他誌を参考にして誰もやっていないところ、
それがたとえ小さな部分でも改造してみた。
それが、ま、一応のデビュー作になった
WAVE 1/24 Tyrrell 020Bだったんです。
で、1ヵ月後、掲載号を手にしました。
本屋にも見に行った。
自分の記事を見ている人を探しに(笑)
今まで読んでいた本に今は自分が載っている。
あの感覚は今でも忘れられません。
今は気軽にインターネットで作品を公開できるけど、
その当時は本に掲載されて日本、
下手したら世界の人に見られるなんてとんでもないことだったから。
掲載号などは書きませんが、興味がある方は探してみてくださいね。
この辺で、ある言葉を思い出しました。
「名前がないとダメだよ」
たかが模型を作る仕事です。
でもね、それを思った時、なんだかホッとして涙が出ましたよ、ほんと。
一切、先がわからない状況で初めてやることばかり…。
その時の自分なりに、ヘタなりに本当に努力したから。
でも、まだまだ始まったばかりです。

さてその後、
仕事のお礼を兼ねて当時の担当者だった
後に大変お世話になる方へ電話をしてみました。
そして、ここでもあつかましいお願いを。
自分は、これから模型の仕事をしたいと考えていますと。
もしよろしければ、もう一度作らせていただけませんでしょうかって。
正直、そんなことを言えるような立場ではないんですけどね(笑)
なにかいても立ってもいられなかったんでしょうね。
その時ちょうどベネトンのB192がタミヤから発売されたところだったんです。
またベネトン(笑)
それを作らせろって。
正直、編集部としては次を考えていなかったようですが
色々話した結果、製作することになりました。
どうしてもこの仕事をしたいからって。
技術がないから熱意で勝負するしかなかった。
ただし、今後については作例の出来を判断して決めるとのこと。
当たり前ですね。
最終審査でございます。
案の定、かなりの苦戦を強いられました。
過去の物とはガラッと変わったデカール、コレにはやられましたね。
できるだけ個性をというか、
他誌が全てベルギー仕様だったので
やらなさそうなところをってことでドイツ仕様で製作しました。
シューマッハが3位だったんですね、地元仕様です。
リアウイングを作り直したり
カウル内もできるだけディテールアップ。
波佐本さんからは試作品のパーツを「よかったら使ってね!」ってことでいただいたりして。
とにかく出来る限りやってみた。
正直、またもや至らない点がかなりあったけど、気に入っていただけたようでなんとか予選通過。
やはりドイツ仕様にしたことがよかったみたい。
そして、そこからライターとしての活動が始まるのでした。

で、
私のメインの仕事に、フルスクラッチってのがあります。
これに行き着くまでのお話も少しだけ書きますね。
まず最初のというか、きっかけになった作品、
1/20フェラーリF93A です。
これもHobby JAPANでの仕事。
たしかベネトンB192の後でしたね。
やはり、フィニッシュに関しては周りの先輩ライターには追いつけない状況でした。
そこで、色々と考えるわけです。
自分にしか出来ないことって何かないのか?と。
これまでの事を少し振り返りつつ。
他誌も色々と見てみる。
んー、このフルスクラッチっていうのはどうだろう。
そうだ、これができればあの641/2につながるな。
あるキットから違う車を作るってのもあるんだねぇ。
Hobby JAPANはどうだろう。
スクラッチする人はそんなにいないねぇ。
よし、これだ。
ま、きっかけなんてこんなものです(笑)
出来るかどうかなんて考えません。
すぐに担当さんへ電話。
あの〜、フェラーリの93Aを作りたいんですけど〜みたいな(笑)
向こうも心配そうでしたが、うん、やってごらんって感じですぐにOK。
タミヤのTyrrell020をベースに製作しました。
色々な材料を自分で考え選択し、実車と見比べ自分の好みもぶちこむ。
楽しい、超楽しい(^^)
これがきっかけでございます。
うん、なんてことないんです。
ヤル気っていうか、好奇心っていうか、そんなものです。
今の時代は、作る前からいろいろなことが分かってしまうので
それが、もしかすると模型人口を減らしているのかもしれませんね。
で、1/12へ行くわけです。
94年の秋頃でしたか、何かの打ち合わせの時に
担当さんに412T1をフルスクラッチしてみようかなぁなんて
軽いノリで言っていたんです。
そのころ、先輩ライターである一戸さんのウイリアムズを見ていた影響もあって。
ま、病気入院なんかがあって実際に作ることはなかったんですけど、
あちら(HJ)では結構本気だったらしく…。
数ヵ月後、年末のF1特集号が届いたので自分の作例をチェックしつつ
一戸先生の記事へ。
ほう、いつもながらすごいなぁ、こりゃ。
製作文を読んでいく。
ん?某氏の412T1のスクラッチ宣言云々…。
某氏の裏切りものぉぉぉぉぉ!
あれ、これ俺のことじゃん(笑)
ひぃぃぃぃ、みんな本気だったんだね?
ごめんなさい(笑)
そして翌年、お詫びの1/12フェラーリ412T2を製作するのでした。
ちょうど大好きなアレジの初優勝があったしね、グッドタイミング!みたいな。
製作についても
これまでに数点スクラッチものを製作していたので基本的には問題なし。
でも、いかんせん1/12というものを完成させたのはそれが初めて(笑)だったので
かなりの苦戦を強いられました。
実はその時色々あって数年間だけ会社勤めを再開してましてね、
そんな中で作り上げたんです。
締め切り前の最後の一週間は有給を使って全休(笑)
それ以来、1/12製作は続いています。
私が尊敬して止まない"Alistair Brookman"にはまだまだ程遠いですけどね。
そうそう、2002年に東京へ行った時、
ミニチュアカーの老舗、Make-UPへ行きました。
自分の身分をお話し、植本社長にお願いしたところ
ご自身がコレクションしているBrookmanの作品を見せてくださいました。
あの緊張感…。
たまりませんでした。
あまりに見とれていたので他の模型店を廻ることができなくなりましたけどね(笑)
3〜4時間見てたかも(^^)

さて、これはあくまで私の経験ですので
みなさんが同じ状況になることはないとは思いますが
ま、そんな奴もいるんだなぁってことで。
インターネットもない、そんな時期ですから
とにかく自分で動いて、本当に必死だったんだと…。
今思うと本当に綱渡りなことをしていたんだなぁと常々思います。
ただ、基本的に、楽しむってことが模型の醍醐味です。
苦労もつきまとうけど、
完成した時のよろこびや達成感はきっと忘れられない出来事になるはずです。
最後に、私がこの仕事を続けられるのかどうかを悩んでいた時にお亡くなりになった
"ひろの店長"には感謝してやみません…。
私が仏前に座った瞬間、ろうそくの炎が一瞬燃え上がりました。
その時改めて、これからもがんばっていこうと心に決めたのでした。
おわり。
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